株式会社辰巳組

History of Tatsumigumi
辰巳組ヒストリー

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About Tatsumigumi

辰巳組あゆみ。

創立から近年まで、辰巳組の歩みをご紹介いたします。

Tatsumigumi Since1930
  • 創業者 辰巳忠次は、1900年生で、辰巳家の次男として生まれました。家業は紙漉きを行っていましたが、若くから土木事業に従事し、昭和5年に独立して現在の前進となる組織を立ち上げました。

  • 【戦時中の様子】
    戦時中は、男性が兵役につくため人手が不足し女性や若者が作業に従事していました。

  • 【昭和初期の砂利採取の様子】
    当社は創業当時から長きにわたり、河川砂利の採取事業を行ってきました。採取した砂利は、各地の整備事業に利用するため搬出していました。 戦時中は男性の人手が不足し、女性や子ども、高齢者が作業に当たっていました。 創業者の娘であり、二代目社長の妻となる辰巳恵美子も若くしてその作業に当たった1人でした。娘時代から、学校にも通わず貴重な人手として父の事業を手伝い家業を支えてきました。「ドレッシャー」「ドレッジャー」「ドレージャー」等呼び名は様々ですが、簡易式の選別機を使用し作業者が川から採取してきた砂利を各大きさに選別し用途に合わせて搬出していました。力のない女性には、かなりの重労働であり、その当時の暮らしや環境が、人々のそれぞれの人生にも大きな影響を与えていたことを計り知ります。

  • 【吉野渡場大橋竣工】
    1998年に現在の「吉野渡場大橋」が竣工しますが、旧吊橋は、大橋の完成まで地域の人々の大切な交通路として現役を続けました。

  • 【南大野吊橋 修繕工事】
    当社から約100mのところにある吉野渡場大橋は、以前は赤い吊橋が架かっていました。昔は、橋自体もなく、対岸にかけられたワイヤーを頼りに渡し舟で往来していました。その名残もあって「吉野渡場」という名前が付けられています。吊橋は下北山村から譲り受け移設されたもので、長年地域の人々に親しまれてきました。ドラマの撮影地としても何度か使用され、情報番組の生放送に登場したこともありました。写真は1990年7月の状況です。傷みが出てきた橋の床の木材を取り替える工事をしています。古くなったものも、手を加え大切に使うことで、長く使い続けることができることを学びます。

  • 【堆積土砂撤去事業】
    当社の前を流れる1級河川 紀の川は、台風や豪雨等の際には増水、氾濫が起こり洪水を引き起こします。水と共に、大量の土砂が流され、それらは年を重ねるごとに河川内に堆積していきます。堆積した土砂は、次の増水時に水位上昇を早め、洪水の危険性を高める要因となるため、適度に撤去を行う必要性があります。特に、紀の川は上流に複数のダムを保有しているため堆砂が起こりやすくなります。

  • 【51号改良工事】
    当社の所在する国道370号の対岸にあり、南大野ー樫尾を結ぶ町道51号線の工事道の途中には樫尾発電所がありますが、未だに舗装されていませんでした。地盤の土を車の通行に支障がない強度にするため、セメント材で改良を行い、舗装しました。砂利のままで、雨の日には水たまりが出来たり、凹凸が多くバイクの走行が危険だった道がきれいで安全な道へと生まれ変わりました。 発注者:吉野町

  • 【雪寒対策】
    吉野は山間地であり、冬には積雪や路面凍結が発生し、車両の通行に支障をきたします。生活が動き出す前の暗い中、雪や氷を溶かす融雪剤を散布し、通行に支障のある障害物の除去作業に取り組みます。この道を通るすべての人、車が、少しでも安全に目的地へ辿り着けるように、整備を行っています。

  • 【入野トンネル開通】
    国道370号線の吉野町窪垣内と入野を結ぶ「入野トンネル」は1964年に当社が竣工しました。全長約390mの入野トンネルが開通するまでは、峠を越える険しい道のりでした。当時は「発破」といわれる工法で、火薬を使用して穴を掘り進めていました。24時間体制で約3年の歳月をかけて完成したトンネルは、今も人々の交通網を支えています。

  • 【吉野の山々と建設業】
    当社の歴代社長は、山をこよなく慈しみ、手塩にかけて育んできました。吉野は、「吉野林業」として古くから林業を生業としてきました。人工林である吉野の山は、人の手を入れ、枝打ち、間伐、下草刈りなどの整備を行わなければすぐに荒廃が進んでしまいます。山が荒れると、台風や豪雨により土砂災害などが起こりやすくなり、下の里が被害を受け、そこに住む人々の生活を脅かしてしまいます。「自然と人が安全で安心して共存できるまちを造ること」それが建設業の使命であり、そのために自然と向き合い、「山を守り続ける」ことの大切さをこれからも伝え続けられる存在でありたいと思います。

Company history

会社沿革

1930(昭和 5)年2月 辰巳組 創業/初代代表:辰巳忠治 就任
1959(昭和34)年2月 建設業許可取得 奈良県知事許可第6932号
1979(昭和54)年12月 株式会社 辰巳組 設立
代表取締役社長:辰巳 欣二 就任
2000(平成12)年5月 新社屋建設
2003(平成15)年10月 ISO9001 :2000 認証取得
2009(平成21)年9月 ISO9001 :2008 認証取得
2013(平成25)年7月 代表取締役社長:辰巳 伊佐子 就任
2017(平成29)年9月 ISO9001 :2015 認証取得
2018(平成30)年6月 ISO14001 :2015 認証取得
2021(令和3)年4月 社屋改修
主要取引先

奈良県、吉野町、関西電力 株式会社
関西電力送配電 株式会社、株式会社 KANSOテクノス

主要取引銀行

南都銀行、京都銀行

所属団体

独立行政法人 勤労者退職金共済機構(建設業退職金共済事業本部)
一般社団法人 奈良県建設業協会
一般社団法人 吉野建設業協会
公益社団法人 吉野納税協会